もともと中国は、南沙諸島の実効支配でフィリピンやベトナムに大きく出遅れていたのです。文化大革命などの内政混乱が落ち着き、中国がようやくこの海域に目を向けたとき、もう未占有の「島」といえるような場所は残っていませんでした。パグアサ島、太平島など地下から真水が出るような相対的に大きな島はそれぞれフィリピン、台湾にとっくに取られていました。出遅れた焦りもあったのか、中国は1988年にベトナムと「南沙諸島海戦」と呼ばれる軍事衝突を起こし、岩礁をいくつかベトナムから奪いましたが、それらも満潮の時には海面下に沈む「島」とは呼べないような場所でした。しかし、2002年に東南アジア諸国連合(ASEAN)と「南シナ海行動宣言」で合意してからの中国は、他国・地域が実効支配する島や礁を奪って建造物を構築するようなことは控えています。行動宣言は領有権問題の平和解決、実効支配拡大の自粛などをうたったものでした。(石山)
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